はじめに:AI活用の光と影
近年、人工知能(AI)は私たちのビジネスや日常生活に深く浸透し、その進化は目覚ましいものがあります。多くの企業が生産性向上やコスト削減を目指し、AIツールや関連製品への投資を積極的に進めています。しかし、その一方で、AIを適切に管理・保護するための仕組み、すなわち「AIガバナンス」の整備が追いついていないという深刻な課題が浮上しています。
BSI(英国規格協会)は、この「企業のAIガバナンス」に関する重要な調査レポートを公開しました。このレポートは、AI投資が加速する中で見過ごされがちなガバナンスの盲点に警鐘を鳴らしています。AIがもたらす恩恵を最大限に享受しつつ、潜在的なリスクを回避するためには、どのような対策が必要なのでしょうか。本記事では、AI初心者の方にも分かりやすい言葉で、レポートの主要な発見と、企業が取り組むべきAIガバナンスの重要性について詳しく解説します。

AIガバナンスとは何か?なぜ今、重要なのか?
AIガバナンスとは、企業がAIシステムを設計、開発、導入、運用する際に、倫理的、法的、社会的な側面を考慮し、リスクを管理するための枠組みやプロセスのことです。具体的には、AIの公平性、透明性、説明責任、プライバシー保護、セキュリティといった要素を確保し、AIが企業価値を向上させるとともに、社会に悪影響を与えないようにするためのルール作りと運用を指します。
AI技術は非常に強力であり、一度導入されれば広範囲に影響を及ぼします。そのため、適切なガバナンスがなければ、以下のような問題が発生する可能性があります。
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倫理的な問題: AIが差別的な判断を下したり、プライバシーを侵害したりするリスク。
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セキュリティリスク: AIシステムがサイバー攻撃の標的となったり、機密情報が漏洩したりするリスク。
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運用上の問題: AIの誤作動や不具合により、事業に損害が生じるリスク。
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法的・規制上の問題: AIの利用が既存の法律や新たな規制に違反し、罰則や訴訟のリスク。
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評判リスク: AIの不適切な利用が企業の信頼を損ねるリスク。
BSIのレポートが示すように、多くの企業がこれらのリスクを十分に認識しないままAI投資を進めている現状は、非常に危険であると言えるでしょう。
BSIの調査が明らかにしたAIガバナンスの現状
今回のBSIの調査は、AIを活用する100以上の多国籍企業の年次報告書分析と、世界7か国(オーストラリア、中国、フランス、ドイツ、日本、英国、米国)のシニアビジネスリーダー850名以上を対象とした2回のグローバル調査を組み合わせて実施されました。これにより、AIが企業コミュニケーションにおいてどのように位置付けられているか、そしてその導入に関する経営幹部の洞察が包括的に把握されています。
加速するAI投資と見過ごされるガバナンスの盲点
調査結果によると、世界のビジネスリーダーの62%が今後1年間でAIへの投資を拡大する予定であり、その主な理由として生産性と効率性の向上(61%)とコスト削減(49%)を挙げています。過半数(59%)がAIを自社の成長に不可欠と認識しており、経営陣がAIを将来の事業成功の鍵と見なしていることが明確になりました。
しかし、この投資の加速とは対照的に、ガバナンスの整備が著しく遅れている実態が明らかになっています。自社にAIガバナンスプログラムがあると回答したのは、世界のビジネスリーダーの4分の1未満にとどまり、大企業(従業員250人以上)でも3分の1強に過ぎませんでした。
日本の現状:世界平均とのギャップ
特に注目すべきは、日本の数値が世界平均と比較して低い傾向にある点です。
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AI投資拡大の予定: 世界の62%に対し、日本は約36%にとどまります。
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生産性・効率性重視: 世界の61%に対し、日本は50%です。
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コスト削減重視: 世界の49%に対し、日本は41%です。
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AIが成長に不可欠と認識: 世界の59%に対し、日本は39%です。
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AIガバナンスプログラムの有無: 世界の25%未満に対し、日本はわずか10%(大企業でも39%)です。
これらの数値は、日本企業がAI導入において、投資意欲やガバナンス体制の整備において世界から遅れをとっている可能性を示唆しています。
形式化されていないAIの利用とデータ管理の課題
AI利用の管理体制についても、多くの課題が浮き彫りになっています。
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正式なプロセスでのAI利用管理: 世界では約半数が回答していますが、日本ではわずか20%にとどまります。
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自社ガイドラインの活用: 世界では3分の1ですが、日本では25%です。
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従業員のAIツール使用監視: 世界では4分の1ですが、日本ではわずか9%です。
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AIリスク評価プロセス: 世界では30%ですが、日本では12%です。
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未承認AIの使用制限: 世界では5社中1社ですが、日本では12%です。
さらに、AIのガバナンスと管理において重要な要素であるデータ管理についても、懸念すべき点があります。自社のAIツールを訓練または運用する際にどのようなデータソースを使用しているかを把握している経営者は、世界でわずか28%(日本:18%)に過ぎません。また、機密データをAIの訓練に使用する際の明確なプロセスを自社で整備していると回答したのは、世界でわずか40%(日本:12%)でした。データソースの不透明さや、機密データの扱いの曖昧さは、AIの信頼性やセキュリティに直結する重大な問題です。
BSIのCEOが警鐘を鳴らす
BSIの最高責任者(CEO)であるSusan Taylor Martin氏は、この現状に対し、「ビジネス界はいま、AIのもつ大きな可能性を着実に実感しはじめていますが、その一方で、ガバナンスの整備は依然として追いついておらず、対処が必要です」と述べています。そして、「戦略的な監視や明確なルールが整っていなければ、AIは進歩を支える力となる可能性があると同時に、成長を妨げ、生産性を損ない、コストを増加させる逆風にもなりかねません」と、ガバナンスの欠如がもたらす潜在的な悪影響について強い懸念を示しています。
リスクとセキュリティへの意識の低さ
AIの導入は、新たなリスクやセキュリティ上の懸念も生み出します。しかし、多くの企業でその認識と対策が不十分であることが調査から明らかになりました。
AIがもたらすリスクへの対応状況
世界のビジネスリーダーの約3分の1が、AIが自社のビジネスにとってリスクや弱点の原因となっていると感じています。しかし、新しいAIツールを導入する際に従業員が従う標準化されたプロセスを整備しているのは、わずか3分の1にとどまります。さらに、AI関連のリスクをより広範なコンプライアンス義務に含めていると回答した企業は49%に減少し、AIが新たな脆弱性を生み出す可能性を評価するための正式なリスク評価プロセスを有している企業はわずか30%でした。
日本のAIリスク管理の課題
日本においては、これらの数値がさらに低い水準にあります。
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AIをリスク要因と認識: 世界の約33%に対し、日本は13%に過ぎません。
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新しいAIツールの標準化プロセス: 世界の約33%に対し、日本は13%です。
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AI関連リスクをコンプライアンスに含める: 世界の49%に対し、日本は17%です。
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正式なリスク評価プロセス: 世界の30%に対し、日本は12%です。
これらの結果は、日本企業がAIリスク管理体制の整備を急ぐ必要があることを明確に示しています。リスクを適切に評価し、管理する体制がなければ、予期せぬトラブルや損害につながる可能性が高まります。
業界によるリスク意識の違い
年次報告書の分析によると、金融サービス企業はAI関連のリスクとセキュリティを最も重視しており、特にサイバーセキュリティリスクに焦点を当てています。これは、従来の消費者保護責任やセキュリティ侵害による評判リスクを反映していると考えられます。一方で、テクノロジー企業と運輸企業は、この分野への重点度が著しく低いことが示されており、業界によってAIガバナンス手法に大きな差異があることが浮き彫りになりました。
AIの不具合と有用性評価への注目不足
AIは完璧な技術ではなく、誤作動や不具合が発生する可能性も考慮する必要があります。しかし、多くの企業で、こうした事態への備えが不足している実態が明らかになりました。
不具合発生時の対応体制の不備
AIが誤作動した場合の対応策に焦点が当てられていない企業が多く見られます。問題発生箇所を記録したり、AIツールの不具合や不正確さを報告して対処できるようにするプロセスを自社が持っていると回答したのは、世界でわずか3分の1(日本:13%)にとどまります。また、AIインシデントを管理し、迅速な対応を確保するプロセスを有すると回答した組織は、世界で3分の1弱(日本:12%)でした。さらに、約5分の1(日本:12%)の企業は、生成AIツールが一定期間利用不能になった場合、事業継続が不可能だと認識しており、AIへの依存度が高まる中で、その安定稼働とトラブル対応の重要性が浮き彫りになっています。
AI投資の評価と重複の課題
AIへの投資は多額のリソースを要しますが、その効果が適切に評価されていないケースも少なくありません。世界のビジネスリーダーの5分の2以上(日本:13%)が、AI投資により他のプロジェクトに充てられたはずのリソースが奪われたと回答しています。しかし、組織内の各部門でAIサービスの重複を回避するプロセスを整備しているのは、世界でわずか29%(日本:13%)にとどまり、投資の最適化と効率的な資源配分が課題となっています。
人による監督や教育の優先度の低さ
AIを効果的かつ安全に活用するためには、技術だけでなく、それを扱う「人」のスキルアップと適切な監督が不可欠です。しかし、この人的側面への投資が置き去りにされている傾向が見られます。
人的資本への投資不足
年次報告書において、「自動化」という用語の出現頻度は、「スキルアップ」や「リスキリング」の約7倍に達しています。このことから、企業が技術の進歩に並行して、従業員のスキルアップやリスキリングといった人的資本への投資の必要性を過小評価している可能性が示唆されます。AIが多くの業務を自動化する一方で、人間はAIを使いこなし、より高度な判断や創造的な業務にシフトしていく必要がありますが、そのための準備が不足していると言えるでしょう。
従業員のAIスキルに対する過信
ビジネスリーダーの間には、従業員がAIによる変化に適応し、その真価を引き出すために必要な新たなスキルを十分に備えていると考えてしまう傾向があります。世界のビジネスリーダーの半数以上(日本:31%)が、自社の新入社員がAIを活用する上で必要なスキルを持っていると確信しており、57%(日本:17%)は、組織全体が日常業務でAIツールを効果的に活用するための必須スキルを持っていると回答しています。また、55%(日本:21%)は、自社が従業員に対し、生成AIを批判的・戦略的・分析的に活用する能力を育成できると確信していると回答しました。
しかし、これらの確信が実際の研修プログラムや監督体制に反映されているかというと、そうではありません。AI研修を支援する専用の学習・開発プログラムを持っている企業は、世界で3分の1(日本:16%)にとどまります。64%(日本:26%)がAIを安全かつ確実に使用・管理するための研修を受けたと回答していますが、これは積極的な能力構築というよりも、AIへの懸念が事後対応的な研修を促している可能性も考えられます。AIの力を最大限に引き出すためには、従業員への体系的な教育と、AIの利用を監督する体制の強化が不可欠です。

BSIが提供するAIガバナンスへの解決策
BSIは、AIガバナンスの重要性を認識し、その解決策として様々な取り組みを行っています。
AIマネジメントシステム規格「ISO/IEC 42001:2023」
BSIは2023年末に、初のAIマネジメントシステム規格である「ISO/IEC 42001:2023」を発行しました。この国際規格は、組織がAIシステムを責任ある方法で開発、提供、使用するための要件を定めており、AIガバナンスの具体的な枠組みを提供します。BSIはこれ以降、KPMGオーストラリアを含む企業に対してこの規格に基づく認証を実施しており、企業がAIガバナンス体制を構築・強化するための強力なツールとなっています。
ISO/IEC 42001:2023に関する詳細は、以下のページで確認できます。
ISO/IEC 42001:2023
AIガバナンスに関する研修とキャンペーン
BSIグループジャパンでは、AIガバナンスをはじめとするオンデマンド研修を提供しており、企業が従業員のAIスキルを向上させ、適切なガバナンス体制を構築できるよう支援しています。現在、秋のスキルアップキャンペーンも実施されており、全てのオンデマンド研修が15%OFFとなる機会が提供されています。
秋のスキルアップキャンペーンの詳細はこちらから確認できます。
BSIオンデマンド研修キャンペーン
BSIレポートのダウンロード
本記事で紹介したレポートの全文(英語)は、以下のBSIのウェブサイトからダウンロードできます。より詳細な情報やデータに関心がある方は、ぜひご参照ください。
まとめ:AI時代を生き抜くために、今すぐAIガバナンスを
BSIの調査レポートは、AIがもたらす革新的な可能性の裏で、多くの企業がAIガバナンスという重要な側面を見過ごしている現状を明らかにしました。特に日本企業においては、AI投資意欲、ガバナンス体制、リスク管理、そして人的資本への投資において、世界平均とのギャップが浮き彫りになっています。
AIは単なるツールではなく、企業の戦略、倫理、セキュリティ、そして人材育成に深く関わる重要な要素です。適切なAIガバナンスがなければ、AIは企業の成長を妨げ、予期せぬリスクや評判の失墜につながる可能性があります。企業は、受け身のコンプライアンスから脱却し、能動的かつ包括的なAIガバナンスの確立へと舵を切るべき時が来ています。
BSIが提供するISO/IEC 42001のような国際規格や研修プログラムを活用することで、企業は信頼性の高いAIシステムを構築し、持続可能な成長を実現できるでしょう。AIを安全かつ効果的に活用し、その真価を最大限に引き出すために、今こそAIガバナンスの強化に取り組むことが求められています。AI初心者の方も、この機会にAIガバナンスの重要性を理解し、自社のAI活用を見直してみてはいかがでしょうか。

